やはりニートというと死ぬことばかり考えてしまうのですが、
それは世間がニートに悲惨な最期を遂げてほしいという
潜在的な願望がそうさせているのでしょう。
絶対死にません。
そう簡単には。
ニートはそういう生き物です。
それはともかく将来の絶望から毎日を陰々滅々と過ごしている
ニートの方たちもきっと多くいらっしゃると思います。
まるで「ニート」と「死」は一蓮托生な切っても切れない間柄の
ような、将来を約束したパートナーに思えてしまいます。
死んでほしい。
そういう期待を背負ってるのがニートですが、裏切りましょう。
なぜ人間は死を想像し、まだ来ていない不幸に頭を悩ませ
憂いた日々を過ごしてしまうのか?それは死の概念を獲得
してしまったからでしょう。
避けられない予測に対して怯え、宗教で死後を構築し、
現世での行いや、人間のあるべき姿を求める。
実は死はもっと淡々としているのではないかと、自然を
見ているとそんな気がしてなりません。
現代人のライフスタイルもここ30年くらいしか続いていない
ような気がします。電化とITを中心とした社会ですね。
時代が変わればライフスタイルも変わるし、やるべきことも
変化していきます。世界は恣意的なんですね。
自分の生きた社会で作り上げた生活の理想像は、歴史
の中ではその全てが普遍的ではありません。もちろんどの
時代でも共通した価値観はあるでしょう。
文化は人間が作ったもの。
文化は時代で変わるもの。
どんな生き様で過ごすかは、自分次第。
恣意的な文化にすり寄り、自分の一生を無価値に
思わなくてもいいんですね。
死を悲壮なものに変えるのは、何も成し遂げていない
自分への劣等感からきているように思います。
歴史の中でいつの時代も変わらない普遍的な
価値観を求めれば、現代人から見て不幸でも
いいような気がします。
人間。
動物。
生の普遍的な価値観。
うつろう時代の中で無理に合わせて悲壮感に苦しむより、
生を充実させる生き方を模索して、死をごく自然に
受け止める。
いずれ死ぬその時のために。
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